+ 生きている事が奇蹟に思える

電子うさぎ

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大変だったなあ・・・と、ふと、ノートに書き出した「何歳に何があったか年表」を適当に書き始めたのですが、「なんだこれは・・・」というぐらい色々ありすぎて、自分でもびっくりしています。

この間も、「18歳までの24時間のスケジュール・守らなければ地獄行」をノートに書きだしてビックリしたばかりです。

脳内断舎利・遅れてきた脳内ミニマリスト。



日付の記されている書類や、その時の周辺の出来事をただ並べるだけで、これだけの膨大な量になるのか・・・と、ちょっと呆気にとられました。

実際、18歳ぐらい~30歳ぐらいまで、「この人大丈夫なんだろうか?」というぐらい、色々な事がありました。

常に並行して何かを解決し続けているという感じです。

解決と言っても、次々と起こり続ける問題に対処していただけなのです。問題の本質を考える余裕なんて、ありませんでした。だからなのか、サイコパス母親による「見えない虐待」に気がつくのが40に入るか入らないかの時でした。

毒親という言葉は聞いた事もあったり、読んだりしてみましたが「ピンとこない」という感じでした。
毒親の本は、きっと、「親も毒になるよ」という意味では非常に良い本だと思いますが、何しろ私の実母は「間抜けなサイコパス」ですから・・・。ちょっと方向が違いました。

その頃、実母の正体を正確に知るためにたくさん本を読みました。

「The Sociopath Next Door/良心を持たない人たち」(マーサ・スタウト)
「診断名・サイコパス」(ロバート・D・ヘア)
「モラルハラスメント」

そして、前知識を入れてから、Psychopath Free というサイトに飛びました。

「彼女が誰なのか?」を知らなければ、一生自分で自分を自由にできないと思ったからです。
敵を知らなければ、恐怖の正体を知らなければ、ただただビビるだけの人生で終わってしまうのが嫌だったのでした。

名称は今になってみると、どうでもいいのですが、とにかく私が恐怖を感じていた相手は「感情も情動も見せかけの、ヒトをゲームにすることによって暇つぶしをするモノ」でした。

捨てますわな。こんなもん。



話しは戻りまして・・・


この自分史みたいな手書きの年表で、重く影を落としているのは、「生まれた時点辺りを起点にした、身体的・精神的虐待」です。

18までは実家が拠点でしたから、その実家の密室で陰険な精神的な暴力を受け続けたという事は、もう無視できません。

実家で暴力を受けずに育ったら、多分、自分史の年表モドキも、大概の人が通るであろう道通りの比較的平坦なものになっただろうと思います。

多分、実家で暴力を受けずに育ったら、傷つく程度ももうすこ~し軽かっただろうとも思います。
(目の前に血と肉片が破裂して飛び散る幻影を見てしまったのですが、ショック状態に陥りました。もうすこし軽めの幻影が良かったなあ・・・。強烈過ぎて絵にかきましたが、誰にも見せられません。)

多分、実家で暴力を受けずに育ったら、精神科という隔離された場所に自ら赴く事さえ考えなかっただろうと思います。もちろん、クスリも飲まなくても済んだかもしれません。
(あ、私は、必要だと思ったから自らの意思で適当に服用していました。決して拘束されて自由を奪われて医師に無理やり服薬させられた事はありません。
医師の肩を持つ気もサラサラないのですが、クリニックに行って、処方され、薬を手に入れても、それを口に入れて飲み込むかどうかは、私の判断です。
でも、処方が滅茶苦茶なので、日本でベンゾ研究論文も沢山あることですし、それらがもっと日の目を見ないかなあと、思います)

多分、実家で暴力を受けずに育ったら、「眠れない・眠る事自体が恐怖・眠っている間も怖い・夢が恐すぎて眠ることに対する興味がなくなる」ということも、無かったと思います。


ゴチャゴチャとした書き込みだらけの、膨大な出来事を書き出した自分史モドキを見てみると「生きているだけで充分奇蹟だと思う」と、ふと思いました。


苦境の中であってもふとした瞬間に見える、あまりにも綺麗な光景は、例えばそれが花であるならば・・・・
多分、暴力を受けずに育った人にとっては「単なる雑草の花」かもしれませんが、「力強く、凛として生きる強さから湧き出る美しさ」に感じました。

猫さんに出逢った時の強烈な視線は、多分、暴力を受けて育っていない人だったら見逃していたと思います。

彼女と過ごした20年間以上が、一瞬にも永遠にも思える程、鋭く明るい命の軌跡は、まだ私の中で強く光り続けています。


公の書類に裏付けされた数々の出来事を、精神科医は「妄想・想像・思い違い・思い込み・記憶違い」と言い切りましたが、良いのでしょうか?

もう、どうでもいいです。

どうでも良いけど、診察室にはICレコーダーを持って入っています。自衛は大切。


それでもなんでも、自分史モドキを書き出してみたら、とにかく世間一般の普通とは全く違った人生が浮き彫りになったことで、ある種の諦めがついて胸をなでおろしています。


時々「ただ淡々と、同じ毎日を繰り返している」と嘆く人がいますが、「では、私の人生と取り換えて差し上げましょうか?毎日生きた心地がしない中、それでも美しいものに惹きつけられる事で何とか毎日を乗り越えている方が、楽しいでしょうから」と、皮肉を言いたくもなります。


書き出してみて、浮き彫りになったことの一つに「暴力を受けている被害者だった私を排除しようとしている見えない大きな力が、時々、杭のように打ち込まれている」という事でした。

ただでさえ生きた心地がしないのに、息も絶え絶えで血を吐き、満身創痍、泥だらけで生きている人間に追い打ちをかけるという「世間一般の普通」に対して、ゾッとしました。


そんなわけで、ゾッとするものには近づかない方がお利口さんなのかもしれませんので、適度な距離を保って、生き抜いた自分を自分で否定しないで生きていこうと思いました。


人生50年という、昔のなんかの唄がありますけど、やはり、人生は50年ぐらいで丁度良いなあと思います。


第二の人生とか、勘弁してほしいです。

もう、生きてるだけで充分です。


引き籠っている人だってそれでいいし、何とか障害というラベルを背中に貼られて排除されても生きていればいい、つけられた精神疾患名を支えに心穏やかに暮らすのも良いし、自分の体を切り刻んで薬におぼれている人も生きててなんぼ、感覚が鋭すぎて生き辛い人は鈍感になんかにならなくてもいいし、暴力を受けた人は擦れ違っただけでも私は分かります。

何もなく(本人たちは色々あるとか言いますが)、「普通に」生活している人は、そのままそのまま、お花畑な感じで良いのではないかと思います。

ただ、ヒトの人生に口を出すのは、大概「普通に生活している」と思い込んでいる人です。暇なんでしょうね。生きている事に実感が無いというか。
人を傷つけてやっと生きている実感を得られているというのは、もしかして底なしの空虚感の表れなのかも知れないと、勝手に思っています。

でも、人を傷つけたりしている事で「普通」を保っている人って、すんごい顔してます。雰囲気も物凄い事になってます。隠せないですよ。
(そういう人からは、さっさと逃げます・・・。怖いから。)



「普通に生きている人」に対して、私が言いたい事を、この二人が言ってくれた時はスカッとしました。

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「キモイ取り巻きがいて、そんなクズにチヤホヤされないとならないほど病んでる上に、そうでもされないと生きてる感覚も無いの?」



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「せっかくだから教えてあげましょうか?
私達はあなた達の事が心底嫌いなの、だから、あなた達に嫌われようが好かれようが、こっちはど~だっていいの。
あんた、心底キモくて最悪。こっちから願い下げなんだよっ」

(映画「ロミー&ミシェル」より)

(ちょっと柔らかく訳しすぎました・・・)

ハリウッドって、時々スカッとします。

この映画を面白くないっていう人って、いじめる側だった人かな?って思います。

過去の悪事をすべて暴かれますから・・・。

ハリウッド版、勧善懲悪ものです。t-giga17.gif


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最終更新日2018-11-26
Posted by電子うさぎ

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