本/「毛利衛、ふわっと宇宙へ」 毛利衛(1994)

電子うさぎ

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この本は、アマゾンに無かったような気がする。ホッとした。

アマゾンのレビューはひどい。ひどすぎる。

「作者に対する人格否定」(暴力だろ?人権侵害って知ってっか?)
「レビューの評判が良かったのに、駄作だったという八つ当たり」(お前のお金で買ったのに、人のせいか?)
「本の内容やあらすじを細かく書いてしまう」(著作権って知ってっか?)
「その本に沿ってやった事を時系列、ブログ形式で追記してる人」(今、SNSとかブログとかあるけど、そっちに書く方法を知らないのかな?)
「レビュアーが他のレビュアーへの誹謗中傷」(本の批評ではなく、人格批判が日本のレビューなんだね。ふ~ん)

レビューというと「批評」なのに、本についての事を書けないのは、「国語の授業で感想文を自由に書けなかった後遺症」みたいに感じる。
レビューを書く人は、小学校で貧相な作文・読書感想文しか書けなかったのに、今更レビューだから好きに書けると思っていても、結局巨大掲示板になってしまっていて、見ていて「うへぇ~」ってなるけれど・・・
時々「うへぇ~きもちわり~」と思いたくなって、覗いてしまって、「うへぇ~~」どころではなく、オエッってなっている。

レビューが「つまんね~~~」。

なので、毛利さんのこの本は、レビューを見なくて良かった。
(購入はアマゾンからではありません。もちろん)



クスリの離脱症状が少し緩和している時、立花隆さんの「宇宙からの帰還」を読んで、体が軽くなった。
立花さんの凄い所は、「相手の事を全て調べて、相手の話す事を全部理解できるところまで知識を詰め込んでから、インタビューをする」という所。
だから、インタビューされた人は余分な説明を一切しなくても済む。
そこからがスタートだから、「いつもは分かってもらえないんだけど」というフラストレーションを相手に抱かせることなく話を引っ張り出す事が出来るほどに卓越した会話形式の質問を含めたインタビューで、相手の話したい事を「あれ?こんなに話しても大丈夫?話しやすいなあ」という感じで、立花さんにだけ話せるという人も多いなあと思った。

立花さんが「宇宙からの帰還」に出てくる宇宙飛行士の時代は、ほぼ全員軍人だったような気がする。映画「ライトスタッフ」のメンバーみたいな感じだったのではないかと思う。
軍のエリート。そして、その後もそんな感じの時代だった。今は沢山居すぎて分からないけれど。

その中で、宇宙飛行士のオルドリンに関する記述が正確だったお蔭で、オルドリンに何が起こっていたのかが分かった。
彼は狂ってしまったのでもなく、精神疾患になったのでもなかったという事。
自分がまさに薬の減薬をしている時に読んだからだろうか。
オルドリンの一連の行動と、若い時や経歴、父親の影響(虐待)・軍人という仕事と、「精神科」の存在で、オルドリンが地球に還ってきてから、ずっと、単に多量の薬を投薬されていて、クスリが切れる状態のタイミングで「~~が出来なかった」「~~は必死にこなした」とか、「原稿を全く書けなかった」、とか、女性関係に関しては、クスリの影響が非常に大きい。感情の爆発、パニック、聴衆が怖くなるのが助長されるとか。
クスリを大量に投与して、急激に断薬して、又大量に服用してを続けると、オルドリンが身を持って体現してくれた状態になる。

オルドリンの時期の薬・・・バルビツール酸系の薬物か、ベンゾジアゼピン系化合物か、とにかく「宇宙飛行士が笑顔で壇上に上がって、演説をし、パレードをして・・・」という状態に耐えられないほどの疲れを感じたら「はい、うつ病です、はい、クスリ飲んで仕事して」という、当時のアメリカのごり押し加減も、オルドリンの元々の性格には合わなかっただろうと思う。

頭の中が天才的で、人と協調性を図ることなく、自分で一からなんでも組み立てる事が出来てしまう人は「馬鹿らしい凱旋パレード」と、自分が次にやりたい事との折り合いがつかなかったのだと思う。

アメリカは「やりたい事をやれる国」なのは、「何かのキャラクター」に持ち上げられるまで。キャラクターが固定すると、まあ自由は無い状態になる。

今は、きっと(どんな組織に所属していたとしても)穏やかに暮らしているといいなと思う。オルドリンらしく。

「宇宙からの帰還」では、変なところに目が行ってしまったが、減薬が終わったら、もう一度今度は時間をかけて読みたいなと思っている。



毛利衛さんの「毛利衛、ふわっと宇宙へ」を途中まで読んでいるのだけれど・・・

ああ、毛利さんってこういう人だったんだ。と、ガッカリした。
ガッカリしたというのは、私が勝手に「宇宙飛行士、毛利さんは人間味に溢れた人」と思い込んでいたから。
でも、彼は、ガッチガチのエリートで、負けず嫌い。育った年代も学生運動というものがあったり、結婚するのを「身を固めるのは早い方が良い」とか、「妻が倒れた、無理がたたったのだろう」とか、「俺が研究したのが、法改正までに繋がっている」という文章を見て、これは本当に毛利さんが書いたのかなあ?と思ったりもした。
「妻は笑顔で僕にねぎらいの言葉をかける機会を失った」という文章を見た時には、ガクッと来た。嘘でもいいから「妻の努力に感謝したい」と書いたら「ほほう~」と思ったのだけれども。(女が男を立てて、男の出世に協力するのが当然で、家で子育てするのが妻の務めの時代だったんだなあと思う)
そして、毛利さんは、上の二人が生まれた時は「テニスをしていて知らなかった」ぐらいで、ラマーズ法は「宇宙飛行士のテストに役立った」と。なるほどね~。

・・・こんな旦那ヤダ。

でも、毛利さんの奥様の彰子さんも本を書かれているので、そちらを読んでみなければ分からないけれどね。
二人の事は、二人が一番知っているから。
きっと、奥様の方を読めば、何かが分かるのではないかと思う。

毛利さんは、根っからの科学者・化学者だから、自分も生命体だけど、周りにいる全ての生き物も生命体であるという基本が、すぽっと抜けてしまっているような感じがする。

(地球上には、自分以外にも生命体が存在するという事を、実感として知ったのが、宇宙に出てからという遅咲きだったのだろうと思う。家族という単位を持っていても、毛利さんが自ら自分の子供と心から接したのが初めてみたいな感じを受ける。それまでは、「教育者としての父親」だったっぽい。)


1994発行の、この本から随分経ってから、毛利さんが言う事が変化してきた。
「人に対して話をするようになった」
化学や科学が好きなのは分かったけれど、研究室の中にいると大切な事が見えなくなってしまう。
科学は万能ではないとか・・・。

だから、毛利さんが科学者の研究者として、宇宙に行って、初めて人間という存在、生物という存在が地球上に無数に在るという事を知ったのは、「ほんと、手遅れにならなくてよかったよ」と思う。


毛利さんはNASDA(宇宙開発事業団)が、初めて送った宇宙飛行士だったと記憶しているけれど、どうだろう。

ただ、とにかく公の機関は「一人目で失敗すると沽券に関わる」みたいな妙な思考回路を持っているらしいので、それにも巻き込まれたのではないかと思う。

日本は、ワンチャンス。
失敗は、次のチャンスを生まないという変わった国だからなあ・・・・。
(できるエライサンが作った見えないルールなんだろうな。ヒューマンエラーばかりなのに)


毛利さんは、「日本宇宙少年団」の団長さんなんですね。理事長が松本零士さん。

私は、1999年版の「スペース・ガイド」を見ては、「ほほ~」と言っています。

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夫に貸したら、なんか、滅茶苦茶喜んでくれました。

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最終更新日2018-11-26
Posted by電子うさぎ

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