+ 私は何も悪い事をしていない

電子うさぎ

電子うさぎ

なんか、このところ虐待されていた過去は「もうどうでもい~よ」という気持ちになっています。

しかし、向き合いたかった事と向き合い始めています。


私はいわゆるBPD(境界例/境界性人格障害/ボーダーライン・パーソナリティ・ディスオーダー)です。

だから、このブログのコメント欄もお返事を書かないように設定しています。
ヒトという生き物の発するどんな言葉がトリガー(引き金)になって、見も知らない人に対して敵意剥き出しで殺す程のコメントバックをしてしまう可能性を避けているからです。

それに、もう「いい子を演じる」というのもアホ臭くてやめました。
嫌われても自分の過去は過ぎ去ったし、精神的虐待によって「人に対する恐怖感」を認知行動療法(オペラント条件付け/歪んでいない感覚をさらに歪ませるという療法士が多すぎて関わりたくないです)等で、自分を矯正して社会に適応する気なんてサラサラないのです。

でも、他人(母親・虐待加害者)から受けた心理的ダメージ(C-PTSD/複雑性心的外傷後ストレス障害)の為に、全く見も知らない人に対してはどうでもいい対応が出来るのですが、近くに寄って来てくれる心ある人を傷つけてしまう可能性は非常に高い。


それでも「私は何も悪い事をしていない」。


自分に非が無いのに自分を傷つける自傷行為が止まったのは、「私は悪い事をしていない」と、心から思えた時でした。

最近は、魂に何万本も刺さった針を一本ずつ抜いていく作業が楽しいです。
その度に、心が自由になっていくのですから。


ずっと、ロダンの「地獄の門」が目の前にありました。
実際に見に行くことも多く「この門から出たい」と思い続けて、一日中その門の前に座っている事もありました。
でも、もしかして・・・
今「地獄の門」を見に行ったら、どう感じるかな?と思います。

私はモノづくりのはしくれです。
売れる売れないは、買う人に任せてますが、これまではゴッホみたいに、ずっと「世間に認められるための作品」「売れる作品」「有名になりたい」「人に褒められたい」という欲望がありました。

でも、ゴッホの作品の、ゴッホの最期の方の作品の強烈なものは、彼の物です。
彼が、きっと失うものが無くなった時に最後に残った純粋(イノセント)な心が動き出したのだと思っています。
しかし、あまりの強烈さに私はゴッホの作品を観る事さえできないのです。
まだまだです。

私は芸術は分かりません。

でも、生き延び続けてきて、いつもいつも「芸術作品」というものからの影響を受けていました。

本も芸術ですし、造形も、絵も、造った人の心の中をぶつけた作品が私の魂に強烈なアタック(ぶつかる)をしてくれていた事は確かです。


私には、もう、失うものがありません。
絶望さえ失いました。
孤独さえ失いました。
喜怒哀楽というニンゲン臭ささえ失ってしまった。かも。

純粋に魂に響いた美しいものに触れ、それに触れて造形している時が至福です。

それに対して金額を付けるのは、私の仕事ではないので、その仕事は商売をしている人に頼んでいます。

売れたから嬉しいとかではなく、売れた先の人がどう思うかまで考えてません。
それは、商売人に頼んでいます。


認知行動療法(オペラント条件付けを脳にインストールする事)で、元々の魂を抑え込む事を、私はしません。

なぜなら、「私は何も悪い事をしていないから」。


虐待・虐め・元夫からのDV・産婦人科医からの密室での魂の殺人と女性性の剥奪という犯罪・精神科医からのキチガイ扱いと薬漬け・夫からの長期に渡る無関心(最近はなんかちょっと変わってきたらしいですけど)・・・・

挙げればきりがないほどの暴力に満ちた世界なんて、私にはどうでもいいのです。

ただ、今、暴力を受けている人を助けるのは急務です。

クニは勝手に「コクミンノミナサマ」とか言って、勝手に私を「コクミン」にしていますが、私は彼らについて何一つ興味がありませんし、知ったとしても「勝手にしろ、ざまぁ」と思っています。

が、クニが「コクミンノミナサマ」から強制的に吸い上げている人の稼ぎ(税金)で充分「今、正に暴力に遭っている人を助ける事」は、出来ます。
やらないだけなのでしょうね。机上の空論が大好きで、やっていたとしても無駄な事が多く、頭でものを考えていては物事は進まないという基本的な事を親から教わっていない。

でも、それでも、私のように被虐待サバイバーが出来る事は「私は何一つ暴力を振るわれる事をしていない」と気がつく事だと思います。


映画「インファナルアフェア」をⅠ・Ⅱ・Ⅲと続けて観たのですが、中国四千年の歴史はあなどれません。

「人は運命(状況)を変えられないが、状況(運命)は人を変える」と言うセリフがありました。

私は虐待されるという状況(運命)に在って、その状況を変えられなかった。
でも、その状況に真っ向から立ち向かって生きてきました。

魂に杭を打ち込まれても、何万本の針を刺されても、必ずその杭や針を抜いてやるという気持ちが強かったから。


最近、世間知らずとか普通じゃないとか言われなくなりました。

逆に、嫌な物・悪い物は私を避けるようになってきました。

状況は変わっていないはず。

しかし、その状況自体がもしかしたら変わったのかもしれません。

上記のセリフのように「運命は人を変える」のかもしれません。

状況が人の魂に触れた時に、科学ではまだ説明できない事が起こるのだと思っています。


ただ単に、「私は悪い事をしていない」と分かっただけなのですが・・・・

自分を責めたり、自分を罰したり、ヒトに過剰に認めてもらおうとしたりする必要が無くなりました。


ここまで生き抜いてきた。

そして、もう失うものも何もない。

人に何と思われようと、「私」という存在さえ自然界の中に溶け込んでしまえば、ネガティブな感情さえ浮かばない。


そうやって、一人ひとりが「自分は悪くない」と気がつくのにかかる時間は一人ひとり違いますが、本心から分かった時、きっと自分が生き延びてきた強さに気がつくのだと思います。

人と比べなくてもいいし、そんなの無意味。

そこに到達しなくてもいいし、乗り越えるべきものでもない。


ただ・・・・

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「自分自身も含めて、心を砕く事で自分を救う」

のだと、私は思います。


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最終更新日2018-12-28
Posted by電子うさぎ

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