映画/そして父になる(2013・邦)

電子うさぎ

電子うさぎ

ちょっと怖くて、なかなか観る気分になれなかった映画の一本です。

「誰も知らない」を作った監督の渾身の一撃は、今でもボディブローのように効いていましたし・・・。
(自分と重なる部分が多すぎて、シャレにならなかったのでした)

映画「そして父になる」は、「誰も知らない」より、ずっとずっと柔らかい(マイルド)な作りになっていて、一般受けしそうだなあと思いました。

映画は、悲しいかな、興行収入というものと直結していますし、切り込んだ作品が「一般の人」に受け入れられるためには、ある程度の妥協が必要だと考えています。

そういう周囲のプレッシャー(圧力)に対する監督の苦悩も見える作品が「そして父になる」でした。


そして、同監督作品である「万引き家族」が、日本国外で評価されたことで、島国の人たちは安心して「万引き家族」を見ることができているのだと思います。

島国日本の住人は「他人の目を気にしすぎる」という長所でもあり欠点でもあるものを持っていますから、「海外からの評価」を異常に気にする傾向にあるのではないかと思います。

日本国外のどの国からでも良いので、「日本の映画、イイネ」と言われると「ホッとして観る事が出来る。イイネと言われたから、安心してイイネのボタンを押せる」という、流されやすい気質、自分の尊厳を持つことを知らず、自信がない人々にとって、映画「万引き家族」は、ある意味安心して観る事が出来る一本になったのではないかと思います。

私は、映画「万引き家族」を見るまでもない人間ですが、現実を直視せず生きている人たちにとっては「他人事としたら観る事が出来る」物の一本かもしれませんし、目の前の現実を見るきっかけになる素晴らしい映画だと思います。

監督の切り込みは続くと思います。
(いろんな角度から切り込む監督だなあとは思っていて、「次に何が来るのだろうか?」という怖さを持った、創作者(クリエイター)でもあると思います)


映画「そして父になる」を見ていて、「この雰囲気はどこかで感じたことがあるなあ」と思いました。

米国資本配給映画の、ハリソン・フォード主演の「心の旅(邦題)Regarding Henry(原題)・1991」という映画でも同じ雰囲気でした。

「エリートが心を失っていて、自分も周りの人も誰も楽しくない。あるきっかけを境に、自分を見つめなおして生き直す」というストーリー展開です。

表現方法やアプローチは違いますが、「そして父になる」も「心の旅」も、同じことを言っているような気がしてなりません。

1991年の米国作品と、2013年の日本の監督が作った作品が現れるタイミングが絶妙なのが素晴らしいです。

「そして父になる」は2013年作品です。1991年の「心の旅」配給から約20数年です。「米国の後追いをしている日本」なら、この位の感じで後追いをしていますという事がよく分かります。

なぜか、米国での問題が数十年後の日本で、問題になることが非常に多い気がしてなりません。

英国での問題が日本での問題になる事は、100年後ぐらいなので、タイムラグがありますが、あることはあります。


虐待の問題も、確実に米国の後追いをしていますし、家族崩壊も確実に米国の後追いをしています。
(「人」がではなく、「国」が後追いをしているように感じています)


映画二本で、言い切ることなどはもっての外ですので、いろいろ挙げたいのですが、ちょいと面倒です。


「そして父になる」は、監督の手腕がいかんなく発揮された、素晴らしい対比を観る事が出来て、それだけで「映画っていいなあ」と思います。

あるエリートサラリーマンが、大都市で、人工的で緻密に作られた狭くて四角い高価な箱を買って住んで、四角い空間で仕事をして、その範囲から出る事が出来ないという悲劇と、田舎でのびのびと暮らしている人たち(そりゃ、大都市の土建屋よりは貧乏です。実際、田舎は大都市圏よりずっと貧乏ですから)の対比は、分かりやすくて素晴らしい。

こういう対比をうまく描き出せる監督の手腕に、いつも「今回も切り込みが素晴らしい」と思ってしまう。


「心の旅」でもそうでしたが、エリートと呼ばれる人達が陥る悲劇を柔らかく支えてくれるのは、「自分が苦しい目にあって、それをパスした(切り抜けた)人たち」です。エリートがエリートを救うことは、あまり無いように感じています。

彼らが抱えているのは、孤独。それも、たくさんの敵の中での孤独です。

レールの上を周りを見ずに我慢してひた走っているエリートの悲劇を温かく包むのは、エリートではない人たちです。
実際にそうなのだと思います。

エリートの悲劇は、「勝ち続けなければならない。負けることが許されない。弱音を吐けない。弱音を吐いたら潰されるという恐怖。だから、全ての人が敵に見えて恐怖を抑えて心に鎧を着て身を守りながら踏ん張らなければならない。常に緊張状態。自分が健康でなければ負けるから健康に対しても異常な執着を見せている」という一種強迫的な病気に罹っている状態ですから、異常なんです。

多分、本人が一番苦しいのですが、その苦しさを感じる事さえ許されないというところまで自分を追いつめてしまってしまっているのではないでしょうか。

私から見れば、そういう人たちは涙が出るほど悲しい状態です。

彼らがその異常さに、自分で気が付くには、「なにか」が無ければならないのかもしれません。

その「なにか」は、「心の旅」では、「主人公が撃たれる」という人為的な事故でした。「そして父になる」では、「自分の子ではない子を育てていた」という人為的な事故でした。

他人が「心に鎧を着て勝ち続けなければという強迫的な観念に操られている状態の人」に、何かを言っても、伝わらないですから・・・

やはり、「本人に何かが起こって、やむを得ずレールから落ちる」という事が起こらない限り、自覚が出来ないところまで追いつめられているように感じています。


レールの上を遅延なく問題なく、勝ち続け無ければならない、負けることも許されない、自分の弱ささえ殺さなければならない世界で生きていることって、生き地獄だと思います。


「人に戻ろうよ」「生きているという実感を感じたら、柔らかく生きられるよ」「自分を追いつめなくても誰も責めないよ」という映画は、主人公たちのように「自分で自分を苦しめて、周囲の人も苦しめている。自傷行為(実際に体を傷つけるというのではなく、自分の心を傷つけざるを得ない状態)を止める事が出来ないほど追いつめられている人達」にとっては、胸に刺さるのではないでしょうか。

私は、自分がたたき上げで、エリート街道というレールに乗った事がありませんので、彼らの苦しみは実感として心から分かる事はありませんが、それでも、主人公を見ていると泣くほど辛い気持ちになります。


「大丈夫、負けてもいいんだよ。あなたは生きているだけで充分大切な命なんだよ」は、エリート同士では、あまり言わない会話なのかな・・・・

「生き物として生きる」という基本を奪われた人は、直接的な虐待や暴力を受けた人たちも同じですが、もしかしたら、エリートと呼ばれる人達も「奪われた人たち」なのではないかと、感じてしまいました。


「そして父になる」も「心の旅」も、お父さんのお話でした。

子供に一番近い存在のお母さんと、お父さん。

そのお父さんが優しく、柔らかい人になると、子供は救われるんじゃないかな・・・って、本当に思います。

私も、母親がサイコパスではなく、私が幼い時に、優しく、時に厳しく、でも絶対的に味方でいてくれて、社会に対して牙をむかない人であったら、どんなにか楽に社会に出られたかわかりませんから・・・。

この映画の救いは、両方のお母さんが、両方とも「どちらの子供も大事」と思ってくれていたことです。
それは、本当にありがたい事でした。


「そして父になる」は、観る事が出来て良かったです。良い映画でした。


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要らない追記

この映画を、二つの家族の話としてみたら、「子供の息が詰まるダメ父を抱えた家族」VS「子供を虐待するダメ父を抱えた家族」だったら、どうなるかなあ・・・
(どちらも大都市圏在住のエリート父)

子供は、親を選べないです。


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最終更新日2018-11-26
Posted by電子うさぎ

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