+ 祖父の看取り・看護・介護

電子うさぎ

電子うさぎ

私は24の時、(自殺未遂は23)

自殺未遂で、閉鎖病棟2か月、開放病棟1か月、出所後、祖父のおんぼろアパートを一間かしてくれた。

久々の外の社会はどこに行くのも自由だった。精神病院と言うのは、起床・点呼・暴れもしない人に強制的にクスリを飲ませる・食事・運動・もろもろの家事や雑事・入浴と入浴時間・消灯(労働をする人も居る)が決められている。昼寝は「薬で強制的に眠らされている人」は昼寝ではなく「眠らされている」と言うだけ。
窃盗や物々交換で貨幣の代わりに物を売買するのも日常茶飯事の事だ。
もちろん、武器になりそうなものは持ち込み禁止。人をやるかもしれないし、自分をやるかもしれないという建前だが、「刑務所」より、待遇が悪い。人権は尊重されず剥奪される。名前を呼ばれるだけマシなのかもしれないが、番号で呼ばれるのと大差ない。

「自殺を完遂できない人」は犯罪者と同じ扱いになる。それが日本の現状。
執行猶予なしで収監される。

私はその一部始終を手紙に書いた。父は頭が良かったから、直接的な単語を使わなくても全て読み取る人だった。

だから、父は私の状況を的確に判断して、対策を練ってくれた。直接的な言い方ではなかったけれど「おじいちゃんの看病をするのなら、こちらに来ないか?」と、精神科・すべての手紙に目を通す看護師の目を欺いた。

私は、数日間、元のアパートにいたのだけれど、引越し屋さんに頼んで「仏滅が安いから」と言う理由で破格の値段で引越しを請け負ってくれた。元々私はサイコ母から逃げるために荷物は最小限度だったから、引越しは簡単だった。



引っ越し当日から、祖父の介護が始まった。

祖父は大腸がんの末期で入院したのだが、手術をして、「これ以上は、家で面倒みられる方法にしましょう」と外科医のお医者さんチームが提案していくれて、社会福祉協議会からヘルパーさん2人を、毎日朝と晩、1回ずつ/30分来てもらえることになった。

最初は、私も自転車で祖父の入院している病院に毎日言ったのだけれど、行くと「電気うさぎはまだか~!」って言い続けてる。

祖父は大病を患ってさえ、私が自殺未遂で精神科病棟に3か月もいた私を心配していくれた。(父と共に)
なので、祖父の心配は、「自分のがんの治療より、24になったばかりの女の子が命を絶った、でも生き残った。ならばいきろ~!」という感じで、「電子うさぎはまだか」という騒ぎが入院病棟で始まる。

急いで病院に行っても、自転車で30分。
毎日毎日えっちらほっちら・・・

「おじいちゃ~ん!電子うさぎ登場!」と、入っていくと、ベッドの周りが騒がしくなる「よかったよかった。今日来なかったら、おじいちゃん叫んでたよ~」とか、「は~~~助かった」とか言っている。
私は「ん?」と思った。

爺ちゃんの性格を知っていれば、いくらでも面白い話してくれるのにね。

彼女たちがベッド周りに持ってきたのは、最中・飴・煎餅・羊羹・。。。は~~~~

私は「この人達、お爺ちゃんの子供だよね。親の好物や今欲しいもの、欲しくないものが分からないんだなあ」と思った。これは介護じゃくて、彼女たちの押し付けの自己満足。


私は「爺ちゃん、散歩行ってこない?」と言った。祖父はゆっくりと立ち上がり、杖を使って、点滴の棒を持って、がらがらと病院中の廊下を回ってきました。
時々窓があると、そこから見える景色で、「あったかいね~」とか、「建物増えたね」なんて私が一人で話してました。
祖父が疲れてきた頃合を見計らって「よこになろうか」というと、「ん」と言って、自分でベッドの方に行って、横になります。

行く度にお散歩。外の景色を見て、自分の足で歩いて、ゆっくりした歩調で・・・

すると、祖父はすぐに眠っちゃうんです。
そりゃ、大手術のあとですから、体力は落ちています。でも、寝ていると体力は増えるどころか、体力自体が落ちてしまいます。

人間も、動物も、動いてなんぼです。

ちゃんと休むには、病気の程度によっては動く事で、心や体自体が楽になると思っています。

その後「電子うさぎちゃんが来ないと困るのよね~」と私に色々押し付けようとした人たちがいましたが、「あなた達にもできますよ」「おじいちゃんを、ベッドに縛り付けるのは無理です。おじいちゃんは、兵隊でしたから。」と言いましたが、彼女たちは聞いていませんでした。

また、最中や羊羹を口元に持って行って「大腸がんの手術をした人」に辛い食べ物を押し込むのでしょう。

その中には、もちろん、アイコおばさんも含まれていました。彼女が一番うるさかった。


祖父が祖父の家に帰ってきて、父と私は交代で祖父の看護を始めた。

たまに来る親戚のうるさい事。

祖父が病床から「うるさいっ帰れっ」と言うのにどれだけのエネルギーを使っているのかさえ分からない人は自己中心的で「来てほしくない人」だった。

そういう人たちは「静かにできない」「ギャーギャー自分の近況を話しまくる」。

静かな空間に勝手に上り込んできて、「あーだこーだ」と文句をつける。

害悪でしかなかった。


よっぽど、ヘルパーさん達の方がサラッとしていて有能だった。


驚いた事に、祖父が亡くなる日の夜に、一番うるさい人たちが集まってきて「簡易テーブル」「簡易椅子」を用意して、座れない祖父を「無理やり座らせて」祖父の口に食べ物を突っ込み始めた。

見ていられなかった。言葉も失った。どうしてそんな暴力がの振るえるのかが理解できなかった。

その日の深夜に祖父は亡くなった。

押し寄せてきた人たちが口々に「最後にたくさん食べられておじいちゃんは幸せだっただろう」と言っていた。


人の命がゆっくりと消えていく時に、一番大切なことは、穏やかに側にいて見守る。看護という物はそういうものだと私は思っている。

人の息が切れる時、その周りにいる人は「ただ見守って、静かに温かい雰囲気にする」のが見送る物の務めだと思っている。


人生の最後の最後に、一番苦痛なことをさせられた祖父は、それでも「許した」。


私は、祖父の看病と看取りを20代半ばで数年間やったことは無駄ではなかったと思っている。



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最終更新日2018-11-26
Posted by電子うさぎ

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